Kyoto Shimbun 2004.04.30 News
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 自己責任「危険だからこそ現場に」
 郡山さんと今井さん会見

 イラクで人質になり解放されたフォトジャーナリスト郡山総一郎さん(32)とフリーライター今井紀明さん(18)の2人が30日午後、東京・霞が関の弁護士会館で記者会見した。15日の解放以来、当事者が会見で事件について話すのは初めて。会見で今井さんは、拉致直後に倉庫のような場所に移され、武装グループから「スパイか」と英語で尋問を受けた。イラク入りの目的を説明すると「ソーリー」と謝罪され「命は保証する」と言われたと述べた。

 今井さんによると、続いて鶏肉などの食事が大皿で出された後、ビデオ撮影があった。「泣いてくれ」などと要求があり、撮影は2回行われた。相手の笑顔が消え、ナイフをのどに当てられたり、髪を引っ張られたりしたという。

 自己責任をめぐる論議に関連して、郡山さんは「ジャーナリストは危険だからこそ現場に行くべきで、リスクを負ってわたし自身は行動している」と述べ、今井さんは「自分にとっての自己責任は、会見でイラクの現状を伝えることだ」と話した。

 共に人質になったボランティア活動家高遠菜穂子さん(34)は、健康状態が悪く郷里の北海道千歳市で療養中。

 3人は4月7日、陸路でバグダッドに向かう途中で武装グループに拉致され、15日に解放。18日に帰国し、PTSD(心的外傷後ストレス障害)の症状があると診断されたため、自宅や郷里に帰っていた。

 ▽記者会見した郡山総一郎さんと今井紀明さんの発言の詳報は次の通り。

 【今井さん】劣化ウラン弾の被害を自身の目で見て、伝えるためにイラクに行った。ファルージャは危険だと聞いていたが、「迂回(うかい)すれば安全だ」と、バグダッドとの間を5回往復したことがあるドライバーとホテルの人が言ったので出発を決めた。

 4月6日午後10時半ごろ、アンマンを出発、7日午前11時、ファルージャ手前のガソリンスタンドで拘束された。バグダッド街道の途中、数百人の米軍兵士がいたので迂回し、約10分走ったガソリンスタンドで車が込み、止まった。

 少年がいて「どこの国の人か」と聞き、ドライバーが「日本人だ」と答えると、少年が走り去り、前方の白い車が走り去った。約20メートル進んだところで、対戦車ロケット砲と自動小銃を持った兵士がやってきて「移動しろ」と言われた。約40メートル移動し、民兵10数人に囲まれ、荷物を検査された。群集も50人いた。

 アラビア語で「日本人はよくない」「死ね」と言われ、郡山さんが別の車に、私と高遠さんは同じ車に覆面をかぶった兵士に乗せられた。

 助手席と運転席の兵士に手りゅう弾と小銃を突き付けられ「しゃべるな」と言われた。高遠さんはずっと泣いていた。自爆テロをするのかと思った。死の恐怖を感じた。20−30分走り、郡山さんと合流した。

 車内で目隠しをされ、頭を低くする姿勢をしろと言われた。頭を上げるとたたかれた。車を降り、一つ目の倉庫に入れられた。目隠しを取られ、5−6人の兵士がいた。うち2人が武器を持っていた。英語を話すジェネラルと呼ばれていた人物に「スパイか?」と聞かれた。「ジャパニーズアーミー、なぜ」とも言われた。

 高遠さんが郡山さんを「カメラマン」、自分について「ファルージャに薬を運ぶ」「ストリートチルドレンを支援している」と説明すると場が和んだ。ジェネラルが「ソーリー、ソーリー」「命は保証する」と言い、大皿に盛られたチキンなどが運び込まれた。

 その後、ビデオカメラを持った人が入ってきて撮影が行われた。ジェネラルに「泣いてくれ」と指示された。「ノー、コイズミ。ノー、コイズミ」と迫られナイフを突き付けられ、髪を引っ張られたりした。ものすごい恐怖を感じた。撮影は2回行われた。高遠さんは泣いていた。撮影後「ソーリー、ソーリー」と何度も言われた。

 「命は保証する」と言われたが、不安で信用できなかった。3日目からは落ち着いた。入れ代わり立ち代わり兵士が来て「米軍が子供や親を殺している」と言っていた。ファルージャの状況は彼らから毎日聞いていた。空爆の音が聞こえることもあった。

 体調は3日目から安定した。5日目に郡山さんが頭痛で動けなくなった。何回も「解放する」という約束を裏切られたので、6日目に高遠さんが何もしゃべれなくなった。移動の自由がなかったのがつらかった。イラク料理は塩分がきつく、帰国後に血流障害と診断された。

 9日目、門をくぐり、後からモスク(イスラム教寺院)と知った。急に日本語が聞こえた。最初は疑った。この人がキディム・ディアさん。「乾杯しよう」と言われた。アルジャジーラと大使館の人が入ってきた。

 【郡山さん】ジェネラルと名乗った犯人が「ソーリー、ソーリー」と言った言葉は「(拘束して)申し訳ない」と言う感じで受け取っている。3人とも「彼らは申し訳ないと思っている」と。

 拘束された直後は、危ないと思った。僕は1人で車に乗せられた。格好がカメラを下げて、ジャーナリストだった。僕だけ拘束されて彼ら2人(高遠さん)は大丈夫じゃないかと思った。スパイに間違えられるのではないかという思いも浮かんだ。

 解放すると言われて何度か裏切られたため、今井君と高遠さんは、落ち込んだ。拘束直後は事態が飲み込めなかった。

 こんなに大騒ぎしている状況を知らなかったというギャップ。自分たちが信念を持ってやってきたと思っていたので、それが完全に否定された感じで、自信喪失もある。

 迂回したとき、3人で戻るか否かを話し合って決めた。結果的に拘束されてしまったが、後悔はしていない。危機管理の甘さはあったが、これを生かして次につなげていこうと思う。

 いろんなイラク人と接し、一緒にご飯を食べたりして、イラク人を身近に感じた。人道支援という名目で自衛隊を派遣しているが、本当にイラク国民が望んでいるものとは違うのではないかと、帰国してますます感じた。

 犯行グループの中に日本語を話す人はいなかった。ファルージャの戦闘が激しくなったと聞いたが、ドライバーが「迂回すれば大丈夫」と言った。イラクとヨルダンの国境が封鎖されたとのうわさも聞いたが、封鎖されていたら戻ろうという気持ちで出発した。3人で決めた。

 彼ら(犯行グループ)はレジスタンスであり、ファルージャを守る自警団。外国人を拘束しメッセージを世界に送るということしかできない不器用な人たち。テロリストじゃない。武器を持って戦っている人は、家族を殺された人ばかりだと聞いた。

 (放映されたビデオの内容は)演出というよりは「泣いてくれ」「おびえてくれ」という命令だった。あの状態で否定はできない。言うことを聞くしかない。

 拘束されている時は(解放の)条件が出ているとは知らなかった。政府が要求を拒否したのは、これから先危険地帯で活躍するNGOやボランティア、ジャーナリストにとってかなり脅威だ。

 警察庁に聞かれたことについて、細かいことは言えないが、かなり疑ってかかられていたと思う。僕らが「こうでした」と話すと「こうだったんじゃないの」という切り返しが多かった。

 外に出られたのはトイレに行くときだけだった。3人で身の上話や雑談をして過ごした。黙った日もあった。2日目までは必ず部屋の中に(犯人が)1人いたが、3日目からは外にいた。食事は3人で食べた。今井君が寝込んだら、犯人が「外で食べよう」といい、犯人と3人が一緒に星空の下で食べたこともあった。

 仕事としては失敗だった。ほとんど写真も撮れず、取材もできずに帰ってきた。

 家族や若い人たちが自衛隊撤退について訴えている姿などを見て、生きて帰ってこられたことを感謝した。

写真=記者会見する郡山総一郎さん(左)と今井紀明さん=4月30日午後、東京・霞が関の弁護士会館

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