番号:11792 ) 04/06/29/Tue 12:48 発言者:shinji [で] >個体、のほうが実は存在しないんじゃないか、とか。こういうのっ >てかなりいろんな文化圏に見られる思想です。 >昔はそっちのほうが多かったんじゃないかな? >でも、その逆の思想も同じくらいに多い。
やっぱり、これも発明なんですよ。
昔は無かったけど今はある。 個人と言う概念が人そのもののメンタリティーを大きく形成している。 不思議な話しですよね。
風の谷のナウシカで、ナウシカが巨神兵に名前をつけると巨神兵が急に賢くなるじゃないですか。 そして自分と周りとの関係も理解を始めるようになる。 僕にとってはあれが凄くいろんな事を示している気がします。 つまり個人の概念が芽生えることで普遍性(というのだろうか?)も浮き彫りにされると言うか、 僕はこの二つは背反するものでは無い気がします。
僕は阿Q正伝の阿Qっていわゆる「個人」の洗礼を受けてない「人類の個体」の内面を描いてると思うんですよね。 どのくらい正確かわかるすべは無いですけど、乞食だった僕は「ああそうそうそんな感じ」くらいには感じます。
物乞い乞食の僕と知的乞食の僕とどっちも自由と不自由があるから、 どっちが良いかとはいえないですね。
ただやっぱり今の僕は日本では物乞いにはなれないので、 これは理由はともあれ、ぴんぴさんの言う >ぼくは、まあ「個人」って考え方があってよかったな、と思うことは結構あります。 この気持ちに同意します。 もう「個人」が出来てしまったかぎり、人類はこれと向き合って生きていくしかない。
ぴんぴさんのいろんな話を聞いていつも感じるのは、 言語、宗教、思想、文字、と、人間の脳を介していろんなものが発生していき、 それを利用して身体の伸張を行い変化していく。 そういう仕組みを持ってますけど、それはむしろ人間が高級な生物なのではなく、 そういった人類の脳を媒体として変化、体系化、肥大化、分布の変化、 時に情報化され時間や空間を越えて生存していく、 言語、宗教、思想こそ地球の新しい形態の生き物なのではと言うことです。
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